egoについて|QAJFlynn隊員『ロドリゲス』

M・ロドリゲス

[#ego]の原義は、「#自負心#うぬぼれ」や「#自尊心」、「#自我#自己」などの意味があります。

「それは君のエゴだ」などと、日本語では言ったりしますが、英語でこれを言うと「You’re being egoistic.」(自分本位になっている)というように表現します。

#エゴイズム」(#利己主義)や「#エゴイスト」(#利己主義者)という言葉はそのまま使ってもわかり易い言葉です。

また、[alter ego]というと、(別の自分、分身)ような意味があり、[ego]という言葉は、「自己」という概念が強い言葉ということが分かります。

「ego」は #自己中心 です。

マイナスな響きを覚えるかもしれませんが、人間はそもそも「#自己中心的」です。

なぜなら、「自分」は「他の誰にも」なれないからです。

人の考えていることなど、分かりっこありません。

ですから、自己中心的であることを恥じることはありません。

誰もがそうですから。

では、本来的に自己中心的で考えることしか出来ない人間は人を思いやれないのか?

思いやることはできます。

他者を自分に #投影 することによって。

「自分だったらこうするだろうな」

「自分だったらこう思うだろな」

と考えます。

#己の欲せざる所人に施すことなかれ」は #孔子 の言葉ですが、#聖書 にも同じようなことが書かれています。

「ego」は人間にとって、普遍的なテーマです。

相手を思いやる行動には、その人の人生が反映されます。

こんな例を考えてみましょう。

ある人があなたに嘘をついたとします。

その人は、嘘をついた理由を「あなたを傷つけたくなかったから」といいます。

Q: この行為は「ego」でしょうか?

ある人はこう思うかもしれません。

「結果として大事にならなかったし、思いやってくれてのことだから、エゴではないだろう」

ここで重要な疑問が生じます。

『人を思いやればegoではないのか?』

『相手がどう思うかによって、egoであるかどうかは変わるのか?』

#大多数 の人間が #賛同 すれば、それはegoではなくなるのか?』

答えは、全部「ego」です。

『人は自己の範疇でしか人を思いやれません。』

『その思いやりからの行動の結果、人がどう思っても、それは元の #行動の動機 を変えません。』

『大多数の賛同も同じく、結果の話であり、行動の動機を変えるものではありません。』

人間は「ego」から逃れられません。

「ego」がなくなれば #自己 がなくなるからです。

では、どうみても自分よりも自己中心的で、どうしようもないやつと、誰もが認めるような好人物とは同じなのでしょうか?

egoの側面では、実は同じです。

しかし、何を与えるかが違います。

#アガペー」と「#エロース」という言葉はご存知でしょうか?

「アガペー」は「与える愛」 「エロース」は「奪う愛」 「#愛」を表す言葉は他にもありますが、「ego」の観点からこの2つです。

あなたがかける何気ない「#大丈夫?」という言葉は、ひょっとしたら”自分を安心させたい”から出るのではないでしょうか?

もしかしたら、「大丈夫」と力強く言ってあげることの方が、#勇気#希望 を与えることになるのかもしれません。

何気ない言葉に「ego」は現れます。

「大丈夫?」という言葉は #心配#不安 からくることが多いです。

心配することは容易いです。

不安を口にすることも。

しかし、心配や不安は何も生まないもどころか、#重荷 にすらなります。

「万が一の備え」?

それは心配・不安を持たなくともできます。

【まとめ】

「ego」は誰もが持つ「自己」で、「自己中」は人間の本質とも言えます。

どれだけ富んでいても、貧しくとも、「egoistic」なのが人間です。

「何を与えるか」、それこそが人を形作ります。

「ego」は #破壊#搾取 ですが、与えれば「#eco」(=生態)、#循環 が生まれます。

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