父は無学でサラリーマンとしては平凡な存在のままリタイアしたが、極貧の少年時代を生き抜き、高度成長期をサラリーマンとして40年以上貫いた骨太さがあった。
退職前、父の年収は1000万あり、それがその時代の普通だった。
僕らは普通にやっていれば当然そこまで行けると信じて疑わなかった。
私はバブル期に大学生なった。
世の中は華やかに浮かれており、根拠もなく明るい未来を信じていた。
就職もより取り見取りだった。
だが就職した私の年収は300万程だった。
その時父の高みを実感した。
同時にいつかそこまで辿り着けるんだと信じていた。
だがそこから年収はなかなか上がらなかった。
何回か転職する度に待遇は悪くなっていった。
希望は叶わず生き抜くこと、家族を支える事が目標になっていった。
遥か向こうに父の背中が遠くなり、背中の家族と家のローンの支払いが自分の背中に重く食い込んだ。
それでも父の世代のモデルに従おうと耐久消費財を揃えた、豊かさとは何か分からないまま。
気づけば東京のサラリーマンになっていた。
狭いマンションから会社まで1時間半も通勤する日々だった、何の為に生きてるのか?という疑問は青さと心の中に押し込んで意味を追求する事もなく生きてきた。
自分の勤める会社が家族の人生を大きく変えていく。
子供達は東京がいいとまで言う、豊かさとは何だろうか?と考えるようになった。
ここ10年程株の評価額を資産として富豪になる者の名前をよく目にするようになった。
豊かさとは金の事なのだろうか?
東京で金を儲けて週末に贅沢をするのが豊かさなのだろうか?
そらは違うと、捨てたはずの青さが心の中で言い続けている。
老いた父は独り身になって故郷に戻った。
父を見て改めて思う。
人が老いた時に残るのは心、感受性だけだと。
感受性が人生を豊かにしてくれる、金は人生を彩りはするがそれは一時の事だ。
気を掛ける相手がいて、時間をかけるに値する心があれば、それで十分人生は豊かであると。
この時代を生き抜いて、子供達は何を生きる喜びにするだろうか?
それを残してあげるためだけに今私は生きて頑張って働いている。
父には遥かに及ばないとしても、せめても後から父が家族の為に必死に父を越えようとしていた事だけは残してやりたい。
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